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 「平家物語」を増補改修した「源平盛衰記」によれば、巴は木曽の豪族、中原兼遠(かねとお)の娘。兼遠は、源氏同士の争いで父を殺された義仲を匿(かくま)い、巴と義仲は乳兄妹(ちきょうだい)として育った。木曽福島町の長福寺に残る長刀はこのころ振り回していたものであろうか。のち巴は義仲の妻になる。
 1180年(治承四年)、義仲は兵を挙げた。三年後、加賀・越中国境の倶利伽羅(くりから)峠の合戦で十万の平氏軍勢を破って京都入りを果たし、征夷(せいい)大将軍に任ぜられた。巴は、義仲軍の大将ともなり数々の戦功をあげたとされるが、平家物語に登場するのは「木曽最期」の段のみ。
 義仲は、入京わずか六か月で従兄弟(いとこ)の源頼朝が差し向けた範頼・義経軍に逐(お)われた。最後の戦場となったのは琵琶湖南岸、近江・粟(あわ)津原(づがはら)(大津)。義仲から、落ち延びろ、と説得された巴は「では、最後の戦をお目にかけましょう」と馬を蹴立てて、敵陣へ突っ込んでいった。【読売新聞2003/10/20】
長福寺には「巴御前の長刀」と伝えられる刀剣があります。
長福寺の歴史上でも類を見ない大火といわれた昭和二年の全焼事故で、明治43年に撮影された写真のものは全て失いました。その中には、木曽義仲公の陣太鼓や馬具もありました。焼け跡から拾い出された中にこの長刀がありました。

この長刀の存在こそが、木曽家菩提所と言われる所以品のひとつです。
「歴史のかたち」が、本になりました。読売新聞大阪本社の記者達が歴史にアプローチした読み応えのある本です。
ぜひお手元に一冊置いてください。
淡交社より、¥1800なり。